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GOLF通信

世界ゴルフ殿堂入りしている名プレーヤー

青木 功(Isao Aoki):(1942.8.31〜 )
    千葉県我孫子市出身

    海外ツアー通算7勝
    日本国内ツアー通算57勝(永久シード権獲得)


<主な戦績>
1975年 マスターズの前座試合※「パー3コンテスト」で優勝
1976年 国内ツアーで初の賞金王となる
1978年 「世界マッチプレー選手権」で海外ツアー初優勝
1978〜1981年 4年連続国内ツアー賞金王
1980年 「全米オープン」準優勝
1983年 「ハワイアン オープン」で日本人初となる米PGAツアー優勝
      「ヨーロッパ オープン」にて欧州ツアーの優勝を飾る
1989年 「コカコーラ クラッシク」にて豪州ツアー優勝
 ※「パー3コンテスト」で優勝した選手は「マスターズ」本戦で優勝できないというジンクスがある


青木功選手は、1964年にプロテストに合格し、翌1965年の「関東プロゴルフ選手権」にて国内ツアーにデビュー。1971年の「関東プロゴルフ選手権」で国内ツアー初優勝を果たすと、以降ジャンボ尾崎・中嶋常幸との3人で「AON時代」を築き、日本のゴルフ界を席巻した。
また海外ツアーでは、1980年の「全米オープン」で優勝したジャック・二クラスと4日間に渡る死闘を演じ、結果メジャー大会における日本人最高位の2位を記録した。1982年には米PGAツアーで日本人初のシード権を獲得、翌1983年の「ハワイアン オープン」(現:ソニー オープン・イン・ハワイ)にて日本人初となる米PGAツアーでの優勝を果たしている。ちなみにこの優勝は、ホールアウトしたトップの選手を1打差で追う青木選手が、最終18番ホールで第2打を直接カップに放り込むチップイン・イーグルで逆転優勝を決めるという劇的なものであった。
1989年の豪州ツアーでの優勝で世界四大ツアー(日・米・欧・豪)での優勝を果たした後、1992年に米シニアツアーに主戦場を移し、以降シニアツアーでも数々の優勝を果たしている。2007年の「日本シニアオープン」で、最終日に「65」のスコアでエージシュートを達成しての大逆転優勝を果たしたのは記憶に新しい。

※関連ページ
 ツアー記録 PGAツアーで優勝した日本人選手

 
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